「わからない」と言える強さ

熊本地震で被災された皆さまへ。

あの日から今日まで、多くの困難を乗り越えてこられたことと思います。

心よりお見舞い申し上げるとともに、皆さまの健康と穏やかな日々、そして一日も早い復興を心よりお祈りしております。

このようなニュースを見るたびに、胸が苦しくなります。

でも、そんな時にいつも思うことがあります。

「自分にできることをする。」

これは、とてもシンプルですが、僕が大切にしている考え方です。
(どれだけできているかは自信はありませんが…)

そして、この考え方は運動指導にも通じるものがあると思っています。

どれだけ技術や知識を学び、積み上げてきたとしても、目の前のお客様に対して、その場でできることには限りがあります。

僕自身も、長年こんなことを考えていました。

「自信がない。」

「わからなかったらどうしよう。」

「自分の知っている知識で対応できなかったらどうしよう。」

要するに、「わからないこと」に対する恐怖です。

だから、その恐怖を少しでもなくしたくて、セミナーへ行ったり、半年、一年と続く講座に参加したり、とにかく学び続けてきました。

学ぶことで安心感は得られます。

でも実際に指導をすると、

「学んだことをどう活かせばいいんだろう…。」

「まだ足りない。」

「もっと勉強しなきゃ。」

そんなことばかり思っていました。

ありがたいことに、多くのお客様からご指名をいただき、周りから見れば順風満帆に見えていたと思います。

でも、トレーナーになって20年以上経っても、自信はありませんでした。

「一体いつになったら、自信を持って指導できるんだろう。」

「そもそも、なんで自信が持てないんだろう。」

そんな自問自答を繰り返していました。

そんな時、ある経済界でとても有名な方のお話の中で、

「知的謙遜(Intellectual Humility)」

という言葉に出会いました。

知的謙遜とは、

「自分の知識や考えには限界があることを認め、新しい証拠や他者の意見によって、自分の考えを修正できる姿勢」

のことです。

単に「自信がない」「控えめ」という意味ではありません。

自分の知識には自信を持ちながらも、

「自分が間違っている可能性は常にある。」

そう考えられる姿勢です。

例えば、

知的謙遜が低い人は、

・私は絶対に正しい。
・反対意見は全部間違っている。
新しい研究が出ても認めない。

一方、知的謙遜が高い人は、

・現時点では、この考えが最も妥当だと思う。
・でも、もっと良い証拠があれば考えを変える。
・相手の話にも学ぶ価値があるかもしれない。

これは、科学者に求められる基本姿勢だそうです。

この話を聞いた時、僕はハッとしました。

僕は、たくさん勉強するうちに、

「全部知らなければいけない。」

という考えに縛られていたんです。

もちろん、学び続ける姿勢はとても大切です。

でも、全部を知ることなんて不可能です。

だからこそ、

「知らないことは、知らない。」

そう言えることも大切なんだと気づきました。

要するに……

無駄にプライドが高かったんですね^^;

全てを知ることはできません。

だから大切なのは、

「自分にできること」と「まだできないこと」を正しく知ること。

そして、できることに全力を注ぐことです。

もちろん、視野を広げるために新しいことへ挑戦することも大切です。

でも、

今、自分はどこまで理解できていて、どこから先がまだ理解できていないのか。

それが分かれば、必要以上に自信を失うこともなければ、逆に過信することもありません。

この話を聞いた時、

「確かになぁ……。」

と、ものすごく腑に落ちました。

とはいえ、指導の現場では、

「わかりません。」

だけで終わるわけにはいきません。

ここからが、本当の勝負です。

自分の持っている知識や技術を総動員しても答えが出ない。

そんな時こそ、本当の実力が試されます。

学んできた知識や技術は確かに自分の財産です。

でも、それだけでは足りません。

知識が尽きた時、

そこからどう考え、どう仮説を立て、どう目の前の人と向き合うのか。

そこに、本当の指導力が現れるのだと思います。

少し長くなってしまいましたので、この続きは次回お話しします。

次回は、

「知識が尽きた時、本当に実力のある指導者は何を考えているのか。」

僕が20年以上の指導の中でたどり着いた答えを書いてみようと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

ではでは

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