蓮の華のように生きる。

Tanren塾塾長 鈴木亮司です。

親しくさせていただいている(とこちらが一方的に思ってるだけ?)ヨガの先生のメールに胸を打たれたので使わせていただきました^_^

  
泥を栄養にして咲く蓮の花。
泥は、人間関係や状況など、ドロドロしたものを象徴しています。

ストレスの元のような事柄です。

蓮の花は、そういったものから、栄養を得ますが、影響はうけません。

根っこは泥から栄養を得ますが、葉っぱや茎は、泥水を被っても、水滴のようにサラサラと流して、泥だらけにはならないです。

よく、蓮の花は遊離の象徴として表されます。

遊離は愛を持ちながらも離れている。

状況や人などを嫌わないで、愛をもちながらも、その影響から離れているという意味があります。
遊離があると水滴のようにサラサラと泥を流せます。

執着のような愛ではなくて利他的な愛。

愛があると、良い影響を与えるものになれます。

状況や人がどうであれ、自分自身がどうあるのか?が大事とされます。
ラージャは王様という意味で、王様は与えるもの。

状況や人がどうであれ、良いものだけを与えていきます。

そのためには自分を本来の状態に戻してくいく愛や力幸福など魂が本来持っているものを取り戻していきます。
瞑想中で、その本来の質に満ちていきます。

考えを消すのではなくて考えの力を使う瞑想法なので歩きながらでも何時でもできる実生活に役立つ瞑想法です。

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メールをほぼそのまま載させていただきました^_^

先生からこういう類のメールをいつもいただくのですが、自分の器の小ささに気づいてしまう(´Д` )

ストレスをも肥やしにしてしまう強さというか…

ストレスを嫌って人と接するのやめてしまうのも、それも何か違うわけで。

嫌なことはつい見ないことをしてしまうのですが、それをも受け止める器の大きさ、強さということでしょうか…^^;

「清濁併せ呑む」という言葉に通ずるところがありますね。

世の中考え方一つとはよく言ったものです。

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