プロフィール

■弱さからの脱却。人は変われる。強くなれる。

幼少期の僕の体育の成績は「2」良くても「3」。体がガリガリに痩せていたので、みんなからつけられたあだ名は「肋骨」。

身体もあまり強くなく、月に2、3回くらいは風邪をひいて学校を休んでいました。

子供の頃の夢は「漫画家」

運動が得意ではなく、漫画を描くのが一番好きでした。

イジメられているというところまではいきませんでしたが、弱いグループの中にいました。

何かを言われても言い返せないので、心の中はいつも悶々。人には言いませんでしたが、小学生の時から「強くなりたい」という欲求がありました。

小学校4年生のとき野球を始めました。

野球は特に好きではなかったのですが、兄がやっていたからという理由で、嫌だとも言えず半ば強引に少年野球団に入部させられることになりました。

始めてからも特に野球を好きになることもなく、意欲もないので、ただ練習もやっているだけ。

小学校の少年野球は同学年は11人しかいなかったのでレギュラーにはなれました。

しかし、あまり好きでもないものを毎日やるのは、子供にとって中々ののストレス。その影響か、この頃から偏頭痛で悩まされることになりました。

小学校を卒業し、中学では好きなことをやりたいと思っていたのですが、親の説得に負けて再び野球部へ。そこで待っていた刑務所のような練習でした。

中学の野球部は小学校の時とは違い部員が沢山いたため、僕は当然試合には出られませんでした。いわゆる万年補欠。

レギュラー以外の人間にはまともに練習すらさせてもらえず、レギュラーの選手たちの練習の邪魔にならないように球拾いをするか、目的もなく理由もわからずうさぎ跳びかグラウンドを延々と走っているだけ。。

野球部も強豪でもなく市内大会でも勝ったり負けたりするレベル。

先輩たちもやる気もそれほどあるわけでもなく、暇になったら憂さ晴らしに部活の後、毎日のように後輩を部室に呼び出してバットで殴る。僕を目つけられた先輩に毎日のように呼び出されてはバットで殴られていました。自分が先輩になっtらこんなことは絶対に後輩にはしないと心の中で思っていました。

ただこれが嫌で部活に行くのが嫌になり部活を休むために学校も休みがちなっていました。野球を好きになるはずはなく、精神的にも荒れ、学校の成績や友人関係も悪化していきました。

中学3年生になり部活を引退する少し前に、不良の高校生からカツアゲをされました。この時、何も抵抗もできず、ただ従うだけの自分に無性に腹が立って仕方がありませんでした。

当時は相撲で千代の富士が活躍していた時代。身体が細かった千代の富士は努力を重ねて、力士としては小さい身体ながら、自分より大きな相手に勇敢に立ち向かって勝っていく姿に猛烈に憧れました。

そこで再び湧いた「自分もあんな風になりたい」「強くなりたい」という欲求。
そこから、千代の富士が行なっていたという腕立て伏せを始めました。
毎日150回の腕立て伏せを半年以上続け、食事の摂り方も変えました。

すると、どんなに努力をしても変わらないと思っていた「肋骨」と呼ばれて馬鹿にされていた自分の身体が、どんどん変わっていったのです。

わずか半年で胸囲25センチ、体重は10kg以上増えました。

それまでの自分は

「もともと運動神経が悪いし」

「太りにくい体質だし」

と言い訳ばかりして本気の努力をしていませんでした。この時に足りなかったのは覚悟だったと気づきました。

「どんな人でも変わることはできる」と思えた瞬間でした。

変わるには決断。そして言葉に出だすこと

子供の頃から夢だった漫画家は、中学3年生の時、同世代の漫画を見て

「レベルが違う。自分は素人の中で上手いというレベル。話にならない」

と敗北感を感じ、諦めてしまいました。

でも本気ならそれでもここから頑張って努力をしていたと思います。今思うとそこまで本気ではなかったのかもしれないですね。

当時の夢だった漫画家というものがなくなってしまい宙ぶらりんになっていました。

衝動的に始めた筋トレで身体が変わり始めて、周囲からも「以前とは別人」と言われ始め、少し自信がつきました。

この当時、今では有名なK–1(キックボクシングや空手の選手が世界一を決めるイベント)が創設され、テレビで大々的に放送されたり、雑誌で大きく取り上げられ、世間の話題になってました。

それまで格闘技といえば野球やサッカーと比べると圧倒的に認知度は低く、空手、キックボクシングというものがあるという程度にしか世間では知られていなかったと思います。

当時の格闘技のイメージといえば

「汗まみれで殴り合ってて怖い」

「よっぽど好きな人でないと観ないマイナーな競技」

と答える人が多かったですね。

K−1の出現で、そのイメージが一変します。

華やかな演出、かっこいい選手、面白い選手がテレビで紹介されたり、CMに出演したり、有名芸能人の人たちがリングサイドにいたり、解説席に芸能人がゲストで呼ばれていたり、レポーターをしたり…

あっという間に世間の格闘技のイメージが変わりました。

当然年頃の格闘技好きな男の子たちの話題になり

「すっげ〜」『かっこいいなあ」

友達とも格闘技の話になると何時間も延々と続きました。

僕の兄は空手や柔道をして格闘技のことも大好きだったので毎週発売される雑誌を買ってきては読んでいて、僕もその雑誌を読んだり格闘技をテレビで観ていたりしました。

僕は当時格闘技の経験もないし、知識もそれほどありません。

年頃の男の子なら誰しも一度は強さに憧れたことはあると思います。

格闘技をテレビで観ていて「あんな風に強くなれたらなあ」と思うことはあると思います。

僕もそんなことを思う大勢の一人でした。最初のうちは単純に好きで観ていて、「うおー!」「すげー!」など思ううちに、次第にこう思うようになりました。

 

観ているだけじゃなくて、人に夢を与えられるような

存在になりたい。

 

そして僕は突然、「プロ格闘家になる」と言い始めました。

当然のことながら周りは呆れ顔。

当時の反応は「は?」「お前にできるわけないじゃん」

運動神経も悪く、身体も弱い。

ちょっと筋肉ついたからといってもようやく普通の人になれたくらいのレベル。

今まで何をやっても続いたこともない。

「格闘家になる」と言っても「はいはい」と流され相手にもされないようなレベルでした。

思い立ったが吉日というのか、なんなのか高校では格闘技を始めようとしましたが、もっと身体を鍛えたいと思い、部活を探していたところ、陸上部に入部。理由はプロレスラーの「アントニオ猪木さんが円盤投げをやっていたから」という理由でした笑

僕の通っていた高校はスポーツが特に強いわけでもなく、偏差値も普通。

僕が入った陸上部も県大会に入賞するような選手もほとんどいないような、普通のレベルです。特待生を取るような制度もなく、普通の高校生が陸上を楽しんでいる感じでした。

そのような感じなので中学時代の野球部のような殺伐とした空気もなく

始めた時は陸上競技になんの種目があるかわからないくらい興味がないので、陸上部の先輩から

「お前、中学で野球やってたんだからやり投げでいいだろ」

と言われて

「あ、はい。それでいいです。」

という感じでした。

格闘技をやるための基礎の体を作りたいと思っていたので陸上の種目に興味はありませんでした。

中学の時のような体育会系ならではの先輩後輩の上下関係で人間関係に嫌気がさしていたので、そういうことがなく体さえ鍛えられたらなんでもいいと思っていました。

いざ入ってみると部活の雰囲気は中学の野球部の時とは全く違いました。

何が違うのかというとわからないことを聞いたことをちゃんと答えてくれますし練習はついていけないくらいキツかったのですが、強制することもなく「なぜこれをやるのか?」という目的をハッキリと示してくれていました。

明確に目的意識の持っていれば少々きつい練習でも耐えられます。

そして何より嬉しかったのが試合に出られること。

そして陸上の成績は全て数字に現れるので、トレーニングや練習の成果がわかりやすく反映されます。逆に言えば、トレーニングや練習の正しい・間違いはすぐに判断できます。

サボることばかり考えていた僕が、練習を好きになるまでそれほど時間はかかりませんでした。

僕が高校1年生の時、3年生の先輩が100メートル走でインターハイに出場を決まりました。

先輩はカッコよくて後輩の面倒見も良く後輩からも慕われていて、本当に人気者でした。

それを観ていた僕は

「いいなあ。俺もあんな風にちやほやされてえ〜」

と思うようになり笑

これまた突然

「俺、インターハイに出る!」

と言い出したのです。今思うと本当に思ったことをすぐに口にする変な子ですね笑

そしてあちこちに言っていましたが、やっぱり反応は

「はあ?」「陸上のことわからないからそういうこと言えるんだよ」

後で母親から聞いたのですが、ある先生が

「亮司くんがインターハイに出るって言ってますが…

まあ夢を見るのは自由ですからねえ」

と言われたそうですwww

当時の僕は周りからそう見えるくらいのレベルだったということです。

 

しかし

 

ただ1人、インターハイに出場した先輩だけが僕のいうことに耳を傾けてくれた人がいました。

「おう。がんばれ」

と言ってくれたのです。この時の言葉は今もハッキリと覚えています。

周りがどうこう関係ない。

実際にインターハイに出た先輩がこう言ってるんだ。絶対にインターハイに出る!

そう意気込んで陸上競技、初試合に望みました。

■トライアンドエラー。この繰り返しこそが成長の道と知る

陸上競技初試合。

試合に出るのは小学生の時以来。

ワクワクしながら当日を迎えました。

試合は県大会に出場するための予選大会。

当時の千葉県は5つのブロックに分かれていて

⇨ブロック別の大会で上位8名が県大会に出場

⇨県大会で上位6人が関東大会出場

⇨関東大会で上位6人がインターハイに出場

という流れです。

まあわかりやすいですね。

インターハイ出場を目指す僕は関東大会6位が目標となるわけです。

そして初試合。

この大会の成績で今後どうなるか、どこまで行けるのかの査定試合ともいえます。

 

この試合の結果は…

 

 

県大会最下位

 

インターハイに出る!と言っている人間が県大会最下位ですからね笑

でも僕は心の中で「あ、これいけるかも」という自信をつけたのです、最下位なのに。

上位入賞の選手の動きをみて

「ああいう練習をすればいいのかも」と思いました。

その日からトレーニングや練習をして、試合で試す、ということを繰り返しが始まりました。

これが本当に楽しく、ぐんぐん成績が伸びていきました。

陸上を始めてわずか一年で県のトップ3に入る実力がつきました。

こうなると周りの反応が明らかに変わりました。

僕は相変わらず「インターハイに出る!」と言っていましたが、

「いけるかもよ」みたいな反応に変わってきました。

 

さらに高校3年になると県高校総体で大会記録を出して優勝。

万年補欠だった野球部時代から、陸上競技を始めて2年で全国高校ランキングトップ10に入るまでになりました。

そして関東大会に出場。危なげなく3位入賞。

インターハイに出場を決めました。

ここまで来ると周りの反応が変わりすぎていました。

インターハイに出場は当たり前の感じで出場を決めてもあまり祝福の空気を感じませんでした。

インターハイ出場だけではなく、インターハイ上位入賞、よしんば優勝という重圧がかかってきたのです。

これは僕も戸惑いを隠せませんでした。単に格闘技を始めるまでの体づくりのために始めた陸上競技。

気軽に試合に出ていた僕が初めてプレッシャーを感じていました。

そして

順調に見える陸上競技選手生活に、ここで1つの大きな挫折が待っていました。

 

なんとインターハイの大会直前に腰を痛めました。

 

歩くことができないほどの激痛。

この後10年近く腰痛に悩まされることになります。

入賞を目指していたインターハイは成績も振るわず予選敗退。

失意に打ちのめされ、高校陸上競技生活が終わりました。

しかし、それまでの成績が評価され多くの大学から推薦が来ました。

格闘家の夢を諦めて大学で陸上競技を続けるか

陸上競技を辞めてプロ格闘家になるか

 

ここで大きな決断を迫られました。

陸上競技を続けるならば、格闘家の夢を諦めることになる。

それならば陸上競技でオリンピックを目指す。

オリンピックを目指せるような陸上競技強豪の大学に入る。

もしそれが叶わなければ陸上競技は辞める。

そう決断しました。

結果として望んだ大学へ入ることは出来ませんでした。

「格闘家になる」

といっても全く計画も無く、ただそう思っていただけ。

特にそれらしき行動もしていない。

ただ、東京に行くことだけは考えていました。

親からは

「アンタどうすんの?」

と言われて

「なんも考えてない。東京に行ってアルバイトでもしながら格闘家を目指すよ」

と言いました。

そこで親が

「専門学校にでも行っときなさい」

と言われてトレーナーの専門学校に入学。

トレーニングを専門的に学べるし、格闘技もできるし、都合の良いことだと思い、千葉の田舎から上京しました。

 

当時はインターネットなどないので上京早々、雑誌片手にあちこちジムに電話、見学。

そこでひとつの格闘技ジムに決めて格闘技を始めました。

なぜトレーニングを重ねるほど、身体が劣化していくのか?

しかし、専門学校では、専門的に学んだ運動法であるウェイトトレーニングや心肺機能を高めるトレーニング、敏捷性や瞬発力を高めるトレーニングを積み重ねていました。

身体は筋骨隆々。

しかし格闘技の練習やトレーニングをやればやるほど体が壊れ、思うように動かなくなっていく体に絶望を感じることになります。

腰椎椎間板ヘルニア、頸椎椎間板ヘルニア、膝の靭帯損傷、足首靭帯断裂…

数えたらキリがないくらいの故障を抱えることになりました。

「高校の陸上競技の時、あんなに動いた身体がトレーニングによって劣化している」

と感じました。やればやるほど深みに嵌ってしまい精神的にも参ってしまいました。

同時に、格闘技の活動資金調達のために働き始めていたスポーツクラブでも、指導していたお客様の身体が良い方向へ行かないことにももどかしさと無力さを感じていました。

「何か別のやり方を探さなくてはダメだ」

そう思っていた頃に重度の眼窩底骨折を患いました。視野が極端に狭くなり、ほとんどのものが二重に見えるという生活が数ヶ月。医師から従来の筋トレやランニングなど目に負担がかかる運動を禁止されました。絶望的になっていたのですが、これがきっかけで「身体に負担のかからない方法」を模索し始めることになりました。
武道や東洋医学を学び、新しいやり方を構築していき、関節や血管の負担の少なく、動きをよくするようなトレーニングを探しては試す日々が続きます。

そうしているうちに怪我も回復。身体も動きが良くなり、戦績も伸びました。
すると、指導していたお客様も

「ずっと痛かった腰や膝の痛みが良くなった」

「全然苦しい思いをしてないのに痩せた」

「歩くのが楽になった」

など身体も変わり、トレーナー業も盛況で常に予約が満員になっていったのです。

■トレーニングによる効果が出た。しかし根拠がないので自分のやっていることに自信が持てなかった。

自分のトレーニングのやり方を変えて自分自身、そしてお客様にも効果があった。しかしこのやり方にも根拠がわからない。このやり方に裏付けが欲しい。

そう思いながらなかなか見つけることが出来ず、「こんな裏付けのないやり方で先々やって行く自信がない」と、トレーナー自体を辞めようとまで思っていました。そんな時に何気なくインターネットを検索していると体育学の権威東大名誉教授小林寛道先生の講義があることを知りました。

実はこの数年前にインターネットで小林寛道先生の記事を読んだことがありました。

「凄い理にかなったことが書いてある。いつか会ってみたい」

と思っていました。機会が訪れたのはそれから数年後の出来事でした。

小林寛道先生の講義の日。いつもは仕事なのですが、その日は偶然時間が空いていました。

「これはまさに天から与えられたものだ!!」

即電話をして予約。当日までワクワクが止まりませんでした。実際講義を受けてみて衝撃を受けました。鳥肌が止まらなかった。

自分がやっていることの100歩も先を行く理論、そしてそれらを科学的に形にしていた。臨床実験も行い、科学的なデータも存在していた。

「これだ!!」と思いました。

この出会いが自分のやっていたことに確信を持つことができ、トレーナーという仕事を一生のものにできるという自信がつきました。

そしてこのやり方をもっと多くの人、特に指導者に知ってもらいたいと思ったのです。

「体芯力®︎」という名称は小林寛道先生が

「身体の芯から力を出す」

と仰っていたことをそのまま3文字にしました。

かつての僕と同じように自分の体に絶望している人、指導していても明確に答えられないことにもどかしさを感じている指導者にこの知識を広め、日本を元気にし、希望を持ってもらうことが僕の使命だと思っています。

 

 

  • Tanren塾塾長・日本体芯力協会会長 ・ JDA会長 鈴木 亮司(すずき りょうじ) パーソナルトレーナー
    活動場所:ティップネス町田店
  • 1977年千葉県館山市生まれ(X JAPANの出身地)
  • 趣味:絵を描く、読書、音楽を聴く
  • 家族:嫁、娘(15歳)の3人家族

パーソナルトレーナーとして18年間で述べ30,000人以上のクライアントを担当。クライアントにはアメリカプロバスケット選手、プロ格闘家、プロボクサー、全日本レベルのスカッシュ選手から80歳以上の方まで幅広い。

自身の娘が「ダウン症」であり、障がいのある子供でも効果のある運動や栄養の分野にも詳しい。夢は障がいがあっても無くても体力や年齢に関係なく皆が同じようにできる効果のあるトレーニングを見つけ、世の中に広めること。

著書 『100歳まで歩ける!「体芯力」体操』2016年6月24日青春出版社より出版

  • 発売後2ヶ月で増刷。
  • 月刊わかさ、産経新聞、サンデー毎日で度々取り上げられ『噂の東京マガジン』では2度の見出し大賞を受賞

2冊目の著書『腰、ひざ痛みとり「体芯力」体操』2017年2月24日に出版。

3冊目の著書『体のたるみを引きしめる!「体芯力」体操』2018年6月21日に出版

4冊目の著書『インナーマッスルを鍛える「体芯力」全身体操』2021年5月21日出版

  • メディア掲載
  • anan産経新聞、読売新聞、毎日信濃、房州日々新聞、サンデー毎日、月刊わかさ、書籍紹介サイト新刊JP、女性セブン、安心、

BSフジテレビ2018年4月28日水前寺清子情報館イキイキ健康館出演

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▶保有資格

図1

・認知動作型トレーニング指導者

・つるた療法普及会会員

・全米エクササイズ&スポーツトレーナー協会認定パーソナルフィットネストレーナー

・ゴルフコンディショニングスペシャリスト

・フィットネスニュートリション(栄養学)スペシャリスト

・プロボクシングC級ライセンス

・レスリング初段

・サンボ初段

▶選手時代の大会実績

◆陸上競技成績

1994年
千葉県高校記録会優勝
千葉県民体育大会高校の部2位
千葉県高校新人戦2位

1995年
千葉県高校総体優勝(大会新記録)
南関東総体3位
全国高校総体出場
南関東選手権大会9位
千葉県県民大会高校の部優勝
全国高校ランキング(最高)9位

◆格闘技戦績

1997年全日本アマチュア修斗選手権ベスト8

1997年全日本コンバットレスリングオープン大会3位

アマチュア修斗2戦2勝(2KO)

2000年

レスリング国体東京予選3位
フレッシュマンズレスリング優勝大会MVP
ボクシングC級プロライセンス取得

2002年

JTC関東大会3位
シュートボクシング参戦

2003年
プロ総合格闘技参戦

2007年
K-1 WORLD MAX日本武道館大会参戦

2008年
総合格闘技DEEP参戦
トリビュレイトウェルター級初代王座決定戦

2009年
ZST参戦

鈴木亮司K-1ファイター