体芯力®︎ストーリー①

Tanren塾塾長 鈴木亮司です。

 

幼少期から身体が弱く運動神経も特に良いわけではなく、体育は「3」か「2」。ガリガリに痩せていた自分のあだ名は「肋骨」

子供の頃は絵を描くのが大好きで将来の夢は「漫画家」

小中学校は野球をやっていましたが、中学ではレギュラーにもなれず延々と球拾い。
先輩からのイジメも酷く、精神的にも病んでしまい部活から足が遠ざかっていました。

高校は美術か絵の専門学校に行きたいと考えていましたが、同時に強いものへの憧れもずっと胸の中にありました。

中学3年生になり部活を引退する少し前に、不良の高校生からカツアゲをされました。この時も何もできない自分に腹が立って仕方がありませんでした。

当時は相撲で千代の富士が活躍していた時代。身体が細かった千代の富士は努力を重ねて、力士としては小さい身体ながら、自分より大きな相手に勇敢に立ち向かって勝っていく姿に猛烈に憧れました。

そこで再び湧いた「自分もあんな風になりたい」「強くなりたい」という欲求。
そこから、千代の富士が行なっていたという腕立て伏せを始めました。

毎日150回の腕立て伏せを半年以上続け、食事の摂り方も変えました。
すると、どんなに努力をしても変わらないと思っていた自分の身体が、どんどん変わっていったのです。「どんな人でも変わることはできる」と思えた瞬間でした。

その後、周囲からも「以前とは別人」と言われ始め、少しずつ自信をつけていき、高校では陸上部に入部。陸上の成績は全て数字に現れるので、トレーニングや練習の成果がわかりやすく反映されます。逆に言えば、トレーニングや練習の正しい・間違いはすぐに判断できます。

トレーニングや練習をして、試合で試す、ということを繰り返していくのが本当に楽しく、ぐんぐん成績が伸びていきました。

陸上を始めて一年で県のトップ3に入れるようになり、高校3年になると県高校総体で大会記録を出して優勝。万年補欠だった野球部時代から、陸上競技を始めて2年で全国高校ランキングトップ10に入るまでになりました。

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ここにはもう「弱い自分」はいません。
ですが、感覚だけで練習やトレーニングをしていることに不安を感じるようになります。
そこで、トレーニングをもっと専門的に学ぼうと思い、トレーナーの専門学校に進学することにしました。
同時に憧れだった総合格闘技を始めました。

②へ続きます。

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